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東ティモール これまでの最新情報 2006

東ティモール
デモ初日、ディリ市内を歩く部隊(4月24日)(C)PeaceWindsJapan

東ティモール
退避の日、ディリ空港に配備されていたオーストラリア軍の装甲車(5月26日)(C)PeaceWindsJapan


東ティモール
日本国内で東ティモールの現状について報告する中島(6月5日)
(C)PeaceWindsJapan


東ティモール
日本人スタッフの不在の間、バイクを安全なところに運び出す現地スタッフ(6月19日)
(C)PeaceWindsJapan

 

東ティモール支援の現場からスタッフ

2006騒乱を乗り越えて〜その1 国外退避

2006.12.27

報告:中島純
    (PWJ東ティモール緊急支援スタッフ)
スペース
バタバタバタバタバタバタバタバタバタ・・・

2006年9月中旬、PWJディリ事務所の傍に位置するヘリポートでは、オーストラリア軍のヘリコプターが轟音を響かせていました。東ティモールの治安悪化のため、国外退避してから3カ月半。わたしは再び東ティモールの地を踏みました。ふと、2003年に初めて東ティモールに来たときのことを思い出しました。当時は国連の平和維持軍が駐屯しており、連日ヘリコプターが行き交っていました。わたしがこの国に来て3年以上がたちましたが、またしても紛争が人びとの生活に暗い影を投げかけ、首都ディリの上空にはプロペラの轟音が鳴り響いていました。轟音とともに、東ティモールの発展はまた独立時の「ゼロ」地点に戻ってきてしまったのでしょうか。

わたしが国外退避したのは5月26日。前日25日、治安情勢の悪化から事務所を休業にし、午前中、在ディリ日本大使館で開催された緊急の安全対策会議に出席していました。会議中ディリ市内の治安情勢が急変したため、わたしは事務所に戻り、PWJの東京事務所やNGO関係者に連絡を取って、すぐさま市の中心部にある自宅に戻りました。門をくぐり、少し行ったところで、背後に銃声が聞こえました。まさか市街戦になるとは予想もしていませんでしたが、市街でのピストルやマシンガンによる激しい銃撃戦は、午後いっぱい続きました。そしてその夜半に、JICA(国際協力機構)が「国外退避」の決定をし、JICAとともにコーヒー事業を進めていたわたしも、JICAのチャーター機で国外退避することになりました。退避の朝、現地スタッフを危ない場所に残して「自分だけが逃げる」ような気持ちにさいなまれ、号泣しながら現地スタッフたちに電話を入れたことをよく覚えています。現地スタッフたちは「心配することはないよ、大丈夫だから」と、異口同音に励ましてくれました。

日本帰国後、わたしは奇妙な興奮と疲労のなかに置かれました。起きていても寝ていても、耳には銃声が鳴り響き、悪い夢も見続けました。日本から連日、現地スタッフに連絡し、現地スタッフたちの安否を確認し、安全確保を含む事務所の管理や事業運営の指示を出し続けました。通勤途中などに現地スタッフから、「事務所近辺が危ないです! 逃げてもいいですか?」「事務所の備品はどうしますか?」と、携帯電話に緊急連絡が入ることもしばしばでした。いつ東ティモールに戻れるかもわからず、したがって日本での住居も定まらず、わたしもまた「避難民」のような気持ちで、宙吊りにされたような気持ちで、日本から支援活動にあたっていました。

そんな日本での生活が4カ月ほど続くうち、現地は徐々に落ち着いてきました。とはいえ、ディリなどでは多くの住民が避難民となり、避難民キャンプなどで困難な生活を送っていました。PWJは現地で避難民の支援を開始しており、わたしも避難民支援チームとして現地に戻ることになりました。

(次回へ続く.....)

東ティモール
朝4時に始まった荷積み
(C)PWJ/JunNAKAJIMA

東ティモール
2台だけ残った脱穀機での作業
(C)PWJ/HibikoSHIBATA

東ティモール
女性による欠陥豆の手選別
(C)PWJ/HibikoSHIBATA

東ティモール
麻袋に入れられた豆。品質保持のため麻袋は1カ月間、乾燥させた
(C)PWJ/HibikoSHIBATA
混乱を乗り越えピースコーヒーが出港
2006.12.15

ピースウィンズ ・ジャパン(PWJ)が、エルメラ県レテフォホ郡の生産者とともに生産した2006年産のコーヒー豆が、12月5日、無事に東ティモールを出港しました。国際社会の介入で回復はしているものの、現在も一部の地域で混乱が続く東ティモール。その大きな危機を乗り越え、今年もコーヒー豆は日本へ向けて旅立ちました。26トンのコーヒー豆はシンガポールを経由して、12月下旬には神戸に到着する予定です。

今年の本格的な新豆輸出作業は10月28日、レテフォホからディリへのパーチメント・コーヒーの搬送から始まりました。この搬送は当初10月中旬を予定していましたが、ディリの治安を懸念して、予定日前日に取り止めました。2度目の挑戦となった10月28日の作業は、朝の4時に開始。レテフォホの倉庫で5時間かけて12台のトラックに積み込み、2台のPWJ車両とともに出発。途中、トラックの故障などがありましたが、5時間後、無事にディリの倉庫へ到着しました。

ディリに着いたパーチメント・コーヒーは、まず脱穀作業にかけられました。作業場の多くの機械や部品が騒乱で盗まれ、使用できる脱穀の機械は2台しかありませんでした。さらに悩まされたのが、騒乱後に急激に悪化していた電力事情でした。停電のたびに脱穀の機械が停止してしまうため、当初3日で終わる予定だった脱穀作業に、結局10日程かかりました。

次は、欠陥豆の選別作業です。今年の収穫はPWJスタッフが従来のようには立ち会うことができず、生産者組合のメンバーが主体となって進めました。そのため、この段階での欠陥豆の選別にはこれまで以上に神経を使い、以前は使用していなかった機械による「比重選別」と、約30人の女性たちによる手選別の2段階で選別作業を行いました。作業に来る女性たちの乗ったトラックが通勤途中に投石に会うようなこともありましたが、欠陥豆の選別作業は約1週間で完了しました。

その後、コーヒー豆の検疫や通関手続きなどの作業を行い、11月の最終週にようやくコンテナが港に搬送され、12月5日の出港となりました。

治安情勢が急激に悪化したのが今年の4月。同年5月には日本人スタッフが一時国外退避となるなど、国際スタッフ不在のなか、生産者組合員と現地スタッフは苦難の収穫期を乗り越えました。10月の日本人スタッフ再入国後も、不安定な情勢の中で、精製・輸出と何とかこぎ着けることができました。今年の新豆は、言葉ではあらわせないいろいろな苦労と努力、そしてたくさんの思いが込められています。この新豆は、日本到着後、焙煎、パック詰めなどの工程を経て、ピース ウィンズ・ショップや、各地のフェアトレードショップ、コーヒー店などで販売されます。

東ティモール
テレーザ・マイアさん(43歳)

東ティモール
生産者組合の活動に積極的に取り組む

東ティモール
テレーザを支えるのは子どもたちへの思い
東ティモール支援の現場からスタッフ

将来にかけるテレーザさんの「思い」

2006.12.01

報告:中島純
    (PWJ東ティモール緊急支援スタッフ)
スペース
「とにかく、子どもたちにはしっかり学校へ行ってほしいのです」

レテフォホ郡ドゥクライ村レブドゥ集落のテレーザ・マイアさん(43歳)は、まっすぐな視線をなげかけながら語りました。テレーザさんのもともとの家族は、テレーザさんの夫のドミンゴスさん、首都ディリの学校に通っているジョニくんの3人ですが、収入が乏しいため両親が養うことができない親せきの子ども5人の面倒もみています。そして、ピース ウィンズ・ジャパン(PWJ)が支援するコーヒー生産者組合「カフェ・タタマイラウ」には、初年度の2003年から参加しています。

わたしがテレーザさんと会ったのは、2003年末。東ティモールのコーヒー産業について調査を進めていた他団体の方を案内して一緒に訪問したのが、きっかけでした。その後も毎年コーヒー収穫期には精製作業を一緒にしました。2005年の9月から10月にかけては、他の生産者組合の訪問や、ディリでのコーヒー輸出作業の視察などに参加してもらいました。2006年に入り、「組合内で女性グループをつくりましょう」と話を進めていた矢先に、東ティモール情勢が悪化しました。

混乱の暗い影は、レテフォホにまで及びました。2つの格闘グループが対立し、ドゥクライ村がその格闘の舞台となったのです。オーストラリア軍が出動して事態を沈静するまでの約2週間、この地域の生産者たちは、コーヒーの収穫と精製作業ができませんでした。「収穫時期を逃してしまって品質の悪くなったコーヒーは、組合に売ることはできず、仕方なく他の業者に販売しました」。

テレーザさん一家が今年のコーヒー収穫で得た収入は、約1260ドル(約14万5000円)。コーヒー生産者家庭の平均年収が200〜250ドルともいわれる東ティモールでは少ない収入ではありませんが、6人の子どもを抱え、決して生活は楽ではありません。さらに、「情勢の悪化が物価の高騰を招いていて生活は苦しい」と、テレーザさんは溜息まじりに話します。一時は、米の値段が1.5倍、野菜の値段は5倍にはねあがったのです。物価の高騰は現在も完全にはおさまっていません。

それでもなお、生産者組合とPWJの活動にかけるテレーザさんの期待には、非常に大きなものがあります。テレーザさんの属するサブ・グループも、PWJの支援を受けて、コーヒー苗を育てるための準備を進めています。自給作物の多角化と収量アップをめざす野菜づくりはすでにスタートしています。「古くなったコーヒーの木を植え替えたいのです。それからやはり、女性グループをつくって、輸出規格外のコーヒーを焙煎して国内で販売したり、裁縫をしたりして、もっとお金を稼ぎたいのです。そして子どもたちを学校に通わせたいのです」。

困難のなかでもテレーザさんを支える強い思い、それは、子どもたちが築く未来です。「コーヒーの木を植え替えるのも、将来の子どもたちのためです」とテレーザさん。組合に登録している家族の代表者の名前は、「ジョニ・マイア」。夫の名前でもなく、彼女自身の名前でもなく、彼女の子どもの名前です。コーヒー事業の開始から3年たって、わたしはテレーザさんたちがそこに託した「思い」を見たような気がします。
東ティモール
山道の補修を行う住民たち

東ティモール
険しい山道が続く

東ティモール
シャベルを振るう住民たち
住民たちを雇用して山道を補修
2006.11.06

ピースウィンズ ・ジャパン(PWJ)は、今春発生した東ティモールの騒乱による国内避難民支援の一環として、10月16日からエルメラ県レテフォホ郡で、道路の補修事業を開始しました。工事のため、現地住民や首都ディリから避難してきた国内避難民を雇用して、彼らに現金収入の機会を提供するとともに、車両が通行できない道路を整備し、住民たちが市場や診療所などへ行くことができるようにすることが目的です。

PWJが2003年からコーヒー生産者支援を行っているレテフォホ郡は、標高1450メートルから1700メートルにある山岳地帯。住民たちの多くはコーヒーを生産して収入を得ていますが、5月から9月の収穫期以外は仕事がほとんどありません。また、ディリの治安が依然として不安定なため、東ティモール経済は滞りがちなうえ、物価も高騰し、人びとは仕事を必要としています。

また、この地域の山道は道幅が狭く、地崩れの危険さえあるでこぼこ道で、コーヒー買取業者などの車両が通行できません。また、11月から始まる雨期には山道の状況はさらに悪くなります。

そこで、PWJはレテフォホ郡の地方政府や地域のリーダーたちと話し合い、この時期に仕事のない地域住民や、国内避難民を2カ月間でのべ約500人雇用し、とくに整備の必要な3カ所の山道、合計16.5キロの補修を行うことを決定しました。もともと道らしい道がなかった場所や、0.5〜1メートルほどの幅しかなかった道を、場所によっては4メートルほどに改良します。車は通れなくてもバイク程度は通れるようにしたり、でこぼこを緩和して通行を楽にしたりします。

作業は、レテフォホを熟知したPWJ現地スタッフたちが指揮。険しい山道を巡回しながら、地域のリーダーたちと協力して、作業を進めています。住民たちは、まだ厳しい日差しと砂ぼこりのなか、掛け声交じりの歌で士気を高めながら、倒れてくる危険のある木をなぎ倒し、斧やシャベルを振って作業を続けています。
東ティモール
テントが並ぶ国立競技場キャンプ

東ティモール
帰還した避難民のテントを撤収

東ティモール
洗浄した後、乾燥させる

東ティモール UNHCRの倉庫で保管
帰還した避難民用テントの回収を開始
2006.10.26

ピース・ウィンズ・ジャパン(PWJ)は、東ティモールの首都ディリ市内で、国内避難民が使用していたテントのうち、避難民の帰還などによって使われなくなったテントの回収事業を実施しています。回収したテントは東ティモール政府に寄贈され、将来、再びテントが必要な場合にすぐに使えるように保管されます。

この事業では、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)がディリ市内の避難民に配布したテントのうち、使わなくなったものを回収・洗浄・乾燥して東ティモール政府に渡します。9月の作業開始から10月23日までに、ディリ市内にある国内避難民キャンプ66カ所のうち、メティアウ、パンタイ・クラパ、カノサ・ハスララン学校裏、アタウロ島、国立競技場の5カ所のキャンプからから合計268張のテントを回収しました。

回収作業は、しかし、常に現場の状況を優先するため、スムーズには進みません。事前に依頼を受けてキャンプへ向かっても、「いったん帰還した避難民がまた帰ってきたのでテントが必要になった」と回収ができないことや、「しばらくテント生活が続きそうなので、汚れたテントと洗ったテントを交換してほしい」といった依頼を受けることもあります。また、ディリ市の北にあるアタウロ島からの回収時には、同島出身のPWJ現地スタッフ、アントニオ・ブランコ・ソアレスが出張し、地元の村長らと協力しながら、3村、計21張のテントを回収しましたが、ディリまで運ぶのに、ボートをチャーターして1週間もかかりました。

テントの洗浄のための施設は、空港局から使用許可を取り、国際空港の敷地内にあるUNHCRの倉庫の横に開設しました。水道も電気もない場所だったため、工事はまず井戸掘りからスタート。細いパイプを使って地下水のある場所を探し、発電機とポンプを使ってその水をくみ上げることにしました。作業のため、水タンク台、洗浄スタンドも設置しました。

騒乱から半年たった現在でも、ディリ市内では依然として帰還できない人たちが避難生活を送っています。また、連日、市内各所やいくつかのキャンプで、住民同士の衝突や投石事件などが発生しています。10月後半には雨期に入ることが予想され、雨水からテントを守るためにやむを得ずテントを危険な場所に移動して生活をする人たちも多くいます。避難民の人びとの不安は続いています。

東ティモール
赤いコーヒー実を収穫

東ティモール
完熟した実だけを選別

東ティモール
果肉の除去作業

東ティモール
きれいに精製されたパーチメント
収量3倍、混乱のなかコーヒー豆の収穫終了
2006.10.19

ピースウィンズ ・ジャパン(PWJ)が、エルメラ県レテフォホ郡の生産者とともに行ってきた2006年のコーヒー豆の収穫・精製作業が、このほど無事終了しました。春以降、東ティモールでは、首都ディリなどで混乱状態が続きましたが、レテフォホ郡は物価の高騰以外は影響は小さく、増加したコーヒー生産者組合のメンバーたちは生活と将来をかけてコーヒーの収穫・精製作業に励みました。その結果、裏作の昨年度の収穫量の約3倍にあたる約30トンのコーヒー豆が収穫されました。

2003年からPWJがレテフォホ郡で行っている支援事業は、コーヒーの品質向上をめざし展開してきました。今年4月からはなかでも、コーヒー生産者組合「カフェ・タタマイラウ」の自立に重点に置いて活動しています。事業開始からの3年間は第1フェーズとして「高品質のコーヒー生産」に専念し、組合のマネジメントが困難にならないようにするため、組合メンバーの数を制限してきました。今年は第2フェーズに入ったことで、メンバー数についてもメンバーたちの意思と決定を尊重するようにしたところ、メンバーが拡大し、生産量も大幅に増加にしました。

事業初年度の2003年当初の組合メンバーは、レテフォホのコミュニティ・リーダーと協議して選んだ3村10世帯だけ。そのオリジナルメンバーを通じて参加者が増加し、収穫期をはさんで35世帯となりました。2004年は収量増加を見込み、計画的に組合員を増やし、総計で6村135世帯に。2005年はPWJ現地スタッフをののしったメンバーと精製の重労働に嫌気が差したメンバー、PWJにコーヒーを販売しなかったメンバー、計5世帯について脱退処分を決定し、130世帯となりました。

2006年4月の「組合リーダー会議」で参加者たちは、これまで組合資金の貸付を受けられないなどの制限があった準メンバーを正規のメンバーとすることと、脱退処分を受けていた生産者の処分を撤回することを決定。この結果、2006年の組合メンバーは204世帯になりました。

今年の収穫は、混乱のなか、6月1日に始まりました。日本人スタッフが収穫現場にほとんど立ち会えないなか、生産者たちはPWJ現地スタッフや組合リーダーたちと協力しながら、熱心に作業を続け、9月15日に収穫作業を終えました。

収穫終了から1カ月。コーヒー・パーチメント(果肉を落として乾燥させたもの)はレテフォホにある倉庫で、ディリへ輸送を待っています。この後、脱穀・選別作業などを経て、治安の悪化などがなければ、11月中旬にも日本へ輸出できる見通しです。

※PWJの東ティモール・コーヒー農民支援事業は、JICA(国際協力機構)の協力を得て進めています。

東ティモール 配給物資を受け取った避難民たち
(C)PWJ/IPAC/SeikoTOYOMA

東ティモール
タシトル・キャンプでの避難生活
(C)PWJ/MayakoUSHIDA

東ティモール
キャンプ・リーダーへの聞き取り(左はPWJ金丸)
(C)PWJ/MayakoUSHIDA

東ティモール
衛生用品を受け取る避難民
(C)PWJ/IPAC/SeikoTOYOMA
ディリ市内の5つの避難民キャンプで支援
2006.09.25 (修正:2006.09.26)

東ティモールで発生した多くの国内避難民を対象に、ピースウィンズ ・ジャパン(PWJ)は2006年7月から、米の配給や政府米の輸送などの緊急支援を展開しています。東ティモール東部での活動に続き、7月下旬からは首都ディリ市内の国内避難民キャンプで、キャンプ運営の支援や、食糧・生活物資の配布も開始。9月現在、あらたにみつかったキャンプ2カ所を含め、ディリ市内の計5つのキャンプで避難民の生活を支援しています。

ディリ市内にある国内避難民キャンプは、東ティモール政府の管轄下にあります。しかし、各キャンプの避難民の代表者と調整して、実際に支援を提供するような活動は、国際NGOや国際機関が担っています。PWJは、国際機関などが日本のNGOであるPWJがこの活動に加わることを希望したことや、活動していたNGO団体の一部がディリから撤退を決めたことから、キャンプ運営支援を開始しました。

現在、PWJが担当しているキャンプは、タシトル地区、ナショナル・アーカイブ事務所内、アンヌール・イスラム教寺院内、エバンジェリカ・プロテスタント教会内、EDTL地区の計5つ。これらのキャンプで生活している避難民の多くは、除名兵士によるデモンストレーションが暴徒化した4月28日ごろから避難生活を送っています。9月4日現在の避難者の数は、約1300人となっています。

PWJは、キャンプの状況や必要とされているものを把握し、政府や国際機関などとの連絡・調整を行って、物資配布を行います。配布するのは、政府や国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、国連世界食糧計画(WFP)などが持っていた物資にとどまらず、PWJが必要と判断して調達したものを含みます。これまでにPWJが配布した物資は、米、料理用油、衛生用品、台所用品、蚊帳、調理用ストーブなどです。物資配布の後には、モニタリング(調査)を行います。

物資配布以外では、避難民の不安をできるだけ小さくするため、避難民が許可なしに避難生活を行っていた役所の建物使用許可を取る交渉や、キャンプ内の危険物の除去などを行うこともあります。

国際部隊の展開などにより、ディリ市内の治安は維持されていますが、キャンプへの投石や、キャンプ内での事件は後を絶ちません。避難生活の終わりはまだはっきりとはみえませんが、PWJは安全面に十分配慮しながら、避難民の支援を継続しています。

※PWJの東ティモール国内避難民支援事業は、国際平和協力センター(IPAC)ジャパン・プラットフォームの協力を得て進めています。

東ティモール
配給でコメを受け取る避難民

東ティモール
避難民のもとへコメを運ぶトラック

東ティモール
配給に備えて倉庫にコメを搬入

東ティモール
受け取りの順番を待つ避難民

東ティモール 受け取りの署名をする(手前右が牛田)
東ティモール支援の現場からスタッフ

ラウテン県内2郡で1500人分のコメ配布

2006.08.04

報告:牛田眞也子
    (PWJ東ティモール緊急支援スタッフ)
スペース
治安悪化による国内避難民の緊急支援のために東ティモール入りしているピースウィンズ ・ジャパン(PWJ)の支援チームがこのほど、東ティモール東部のラウテン県内の2郡で、計約1500人の避難民に1カ月分に相当する量のコメ計約13トンの配布を行いました。PWJとしては、今回の緊急支援活動で最初の物資配布です。

避難民の配布するためのコメを積んだトラック4台とPWJの車両2台は、7月25日 午前、ラウテン県のトゥトゥアラ郡とイリオマール郡に向けて、首都ディリを出発しました。私(牛田)が加わったトゥトゥアラのチームは、真っ暗で木々が生い茂る狭い悪路にガタガタと揺さぶられながら、午後7時前、目的の村に到着。一方、イリオマール郡への配給チームは、途中の道でトラックのタイヤが何度もパンクしたために、日付が変わった翌26日の午前1時にやっと配給ポイントに到着。現地スタッフたちが疲労と闘いながらトラック3台に積まれたコメの袋数を正確に確認し、倉庫にコメを搬入しました。

2つの郡とも翌26日午前8時からコメの配給を開始しました。基本にしたのは、村・郡政府のデータに、村長や集落長からの聞き取り調査結果を加えて、PWJの現地スタッフがまとめた「国内避難民登録台帳」。身分証明書などで本人確認を行ったうえ、家族1人あたり8キロ(1カ月相当分)のコメを計って渡しました。イリオマール郡では、27日の夕方までに配給が完了し、トゥトゥアラ郡でも28日朝、配給を終了しました。配給量は、イリオマール郡では1044人に計8352キロ、トゥトゥアラ郡では565人に計4520キロでした。

受け取りに来た人たちの元の職業は、警察官、ドライバー、学生などさまざまで、退役軍人調査を行っていた大統領府職員もいました。「東部出身」であるために身の危険を感じ、無一文で必死に逃げてきたという印象を強く持ちました。「怖くてまだ帰れない」、「ディリに様子を見に帰ったことさえ一度もない」と避難民たち。ディリの治安は回復に向かっているものの、東部出身住民と西部出身住民の間の衝突や報復、商店街での投石、発砲事件などは完全になくなってはいません。避難している人たちは、ディリの状況や住んでいた地域についての情報を人づてに集めながら、ディリへの帰還のタイミングをうかがっているようでした。

一方、国内避難民を受け入れた村々も生活環境は十分ではなく、今年は農作物が不作であるところに、ディリからの国内避難民が大量に流入したために、村民の食生活が圧迫されています。東ティモール政府や国連機関は、避難民に加えて状況の厳しい村民にも食料支援を行う方向で調整を進めており、PWJも関係機関と連携を図りながら、現地の状況やニーズに合った支援を行っていきます。

※PWJの東ティモール緊急支援活動は、ジャパン・プラットフォームの協力も得て進めています。

東ティモール
コモロ市場で店を出していた人たち海外沿いの仮店舗

東ティモール
一部で経済活動が再開されたディリ市内

東ティモール
完全に焼かれた修理工場=コモロ地区デルタ

東ティモール
大統領夫人が寄贈した遊具で遊ぶ避難民の子どもたち
東ティモール支援の現場からスタッフ

困難のなかにも徐々に回復の兆し

2006.07.21

報告:牛田眞也子
    (PWJ東ティモール緊急支援スタッフ)
スペース
7月16日正午すぎ、ディリ国際空港に到着。着陸後、機内から右側を見ると、ビーチにやしの木が生い茂る南国特有の景色、しかし、左側には、東ティモールの悪化した治安を映し出す現実がありました…。空港内には、オーストラリア軍のヘリコプターや装甲車、軍のキャンプ、銃を持ち治安維持にあたるオーストラリア軍兵士の姿があり、「東ティモールは通常の状態ではないのだ」ということを思い起こさせられました。

ディリ市内には避難民キャンプが点在し、つい最近、報復による投石を受けて負傷者が出たキャンプではオーストラリア兵が昼夜とも警備をしている状態。市内は24時間、外国からの軍と警察によりパトロールが実施されています。14日には新しい内閣の顔ぶれが決まり、政府機能が回復しつつありますが、東ティモールの警察機能の回復がみられない限り、外国の治安部隊の存在は治安維持に不可欠となっています。

それでも、日中のディリ市内は徐々に、平静を取り戻しつつあります。市内中心部の商店の多くが7月10日すぎごろから営業を再開しています。客の多くは援助関係者や外国からの兵士・警察官ですが、現地の人たちも市内にくり出し、乗り合いバスを待つ人たち、公園のジャングルジムなどで遊ぶ子どもたち、道路わきで雑談する人たちなど、通常の風景がみられるところも出てきました。一部の私立学校は再開しており、登下校する制服姿の子どもや学生たちにも会いました。

ディリ最大の市場であるコモロ市場は、今回の騒乱で大きな被害を受けたため、閑散としていましたが、コモロ市場で店を出していた人たちの一部が海岸近くの道沿いに店を出し、トウモロコシ、トマト、ほうれん草などの野菜や、りんご、バナナ、パパイヤなどの果物、魚、米、日用雑貨などを売っています。物価が高騰しているため、買い物客はまばらですが、購買力のある援助関係者たちがディリに戻ってきたこともあり、ディリ市内での経済活動は徐々に回復の兆しを見せています。

治安維持のための部隊の存在、焼討ちや略奪を受け、自宅に戻るのを恐れてキャンプや地方の親戚宅で配給物資に頼りながら生活する避難民たち。東ティモール支援では、食糧や生活物資だけではなく、独立以後も解決されていないポルトガル植民地時代に遡る土地所有の問題や失業問題など、国内避難民の帰還には、政治的・社会的問題への対応も不可欠です。PWJは、食糧や生活物資などの調達・配給準備を進めながら、中央・地方政府、国際機関、他のNGOとも協力し、根底にある問題にも気を配りつつ、支援を実施していく予定です。

※PWJの東ティモール緊急支援は、ジャパン・プラットフォームの協力を得て進めています。
東ティモール
ディリ市内の競技場に設けられた国連機関による避難所

東ティモール
避難生活を送る人たち(3点とも)

東ティモール


東ティモール

国内避難民の緊急支援活動を開始します
2006.07.08

ピースウィンズ ・ジャパン(PWJ)は、東ティモール情勢の悪化により首都ディリから逃れて困難な生活を強いられている国内避難民を対象に、食糧や生活物資の配布などの緊急支援活動を開始します。7月8日に、PWJ前東ティモール事業現地責任者の金丸智昭が現地へ向けて出発、9日から現地で活動を行います。また、PWJでは、今回の緊急支援活動のため、緊急募金の受付を開始しました。みなさまのご理解、ご協力をお願いいたします。

東ティモールでは今年4月以降、政治的な混乱が続き、首都ディリなどの住民の多くが、ディリ市内各所の避難民キャンプや地方の知人・親類宅などでの避難生活を強いられています。国内避難民の人数は、7月3日現在、ディリ市内59カ所の避難所で72,872人、地方12県に逃れている人たちは78,984人と報告されています。問題が長期化しているなか生活の困窮は大きく、一部を除いて、国際的な支援も十分ではありません。

PWJは6月19日から21日にかけて、金丸智昭を現地に派遣。ディリ市内外の国内避難民キャンプを調査し、政府や国連機関などの関係者と情報交換しました。その結果、ディリ市内の避難民キャンプでは、NGOや国連機関がすでに支援を展開しているものの、ディリから離れた地方の避難民の状況が深刻であることがわかってきました。東ティモール政府、国連機関、NGOで構成される人道支援グループもこの深刻さを認識し、6月末から地方に逃れた避難民の生活状況の調査を開始しました。PWJ東ティモール事務所も、東ティモールの東側に位置する3県で独自の調査を実施しました。

調査の結果、地方の避難民の多くは、物価の高騰や現金の不足で食糧などが購入できず、ディリから避難するために現金を使い果たしてしまいディリに戻る余裕もないことがわかりました。ディリ市内の住宅が焼討ちされたり破壊されたりした人もいます。こうした状況を受けて、PWJは、東部3県(バウカウ県、ヴィケケ県、ラウテン県)に逃れている避難民の一部に対して食料や生活物資を配給するとともに、状況に応じて首都ディリへの帰還を支援する方針を決定しました。

現在、現地の情勢は刻々と変化しているため、PWJでは状況を見極め、避難民のニーズに沿った支援を柔軟に展開していく予定です。

【派遣スタッフ】
金丸智昭(かなまる・ともあき)
 PWJ海外事業部 広島県出身(39歳)

※PWJの東ティモール国内避難民緊急支援は、ジャパン・プラットフォームの協力も得て実施します。
東ティモール
専門家から合格点の出たカップテスト

東ティモール
パーチメントの到着を喜ぶPWJフェアトレード担当の中村

東ティモール
避難生活を送る住民

東ティモール
住民の自立がコーヒー生産にかかる







東ティモール支援の現場からスタッフ

危機のなかコーヒー収穫は続く

2006.07.06

報告:中島純
    (PWJ東ティモール駐在スタッフ)
スペース
「Diak ka lae(お元気でしたか)?」。6月21日に東ティモールの隣国インドネシアのバリで、ピースウィンズ ・ジャパン(PWJ)東ティモール事務所・現地スタッフのジュスティーノ氏(事業調整員)とアントニオ氏(総務・会計担当)に、東ティモールを退避して初めて、1カ月ぶりに再会しました。今後の体制や方針を話し合う会議のため、東京からここに来て、合流したのです。「元気ですよ」という現地スタッフの満面の笑顔と共に届いたのは、6月に収穫・精製されたばかりの「コーヒー・パーチメント」(=果肉を除去し乾燥させた豆)。困難と不安のなかで収穫されたコーヒーでしたが、その品質は後に専門家からも合格点をいただき、自立への期待をふくらませました。

PWJが支援を開始してから4回目となる今年のコーヒー収穫・精製作業。首都ディリとは異なり平静を保っているエルメラ県レテフォホで、開始から1カ月が経過しました。これまでの3年間と違うところは、東ティモール情勢が極めて不安定であることと、PWJが支援する生産者組合「カフェ・タタマイラウ」が主体となって精製作業と品質管理を行なっていることです。私をはじめ、PWJの国際スタッフは現場へ行くことができず、現場で品質管理にあたる現地スタッフも例年に比べ3分の1の人数となり、精製されたコーヒーの品質に不安を抱えていました。まさに、これまでに培われた生産者組合の技術力と自立への意志が賭けられた「コーヒー・パーチメント」だったのです。

日本に持ち帰ったコーヒーサンプルは、スペシャルティ・コーヒーの第1人者である堀口俊英さんのご協力を得て、6月29日に堀口珈琲研究所にてカップテストを行って、品質をチェックしました。不安もありましたが、堀口さんの判定は、「合格点」。コーヒーには、東ティモールそしてレテフォホの独特のすんだ香味が感じられました。

危機のなかコーヒー収穫は継続し、生産者たちは「自立」への道を歩み続けています。また日本でも、生産者たちの熱情と意志に呼応するかのように支援の輪が広がっています。「カフェ・タタマイラウ」によって生産されたコーヒーは、6月24日に国連大学で開催された「世界難民の日」イベント(国連難民高等弁務官事務所=UNHCR主催=)でも提供され、大好評を得たようです。さらにPWJボランティアのみなさんが、イベントなどの機会で、東ティモールコーヒーの宣伝と販売に大きな力を貸してくれています。

コーヒー収穫は9月まで続き、収穫全盛期の7〜8月は、まさに正念場です。近い将来に東ティモール情勢が安定し、東ティモールに戻り、真っ白に輝く高品質コーヒーと、コーヒー生産者たちのいっぱいの笑顔に会える日を楽しみに、日本で可能な限りの支援を継続していきます。


※PWJの東ティモール・コーヒー農民支援事業は、JICA(国際協力機構)の協力を得て進めています。事業担当の中島純は、JICAとの契約と現地の治安情勢のため、現在、東京に滞在し、電話やメールなどで現地と連絡を取り合いながら、業務の指示を出しています。
東ティモール
コーヒーの収穫をしている生産者たち

東ティモール
ディリ市内の自宅から避難してきた人びと

東ティモール
燃やされた建物

東ティモール
6月にバリ島で行ったPWJ内部の業務調整会議
(写真右がジュスティーノ)

東ティモール支援の現場からスタッフ

PWJ東ティモール現地スタッフから
日本の皆さまへのメッセージ
2006.06.30

報告:ジュスティーノ・ダ・コスタ・ソアレス
(PWJ東ティモール事務所 現地プロジェクト調整員)

スペース


親愛なる日本の友人のみなさまへ

東ティモールは…、再び崩壊してしまいました。もう言葉がありません。東ティモールの人びとの多くが、一部の権力者とその賛同者の私欲のために、苦しめられ、嘆き、抑圧を感じています。ピース ウィンズ・ジャパン 東ティモール事務所の現地スタッフも同じ境遇に立たされています。そして、私自身も他のスタッフと同様、困窮した生活を強いられています。今回の東ティモールの混乱により、私は、すべての財産を失っただけでなく、ディリ市内にあった自宅までも「東側出身者」というレッテルを貼られ、破壊されてしまいました。

私は東ティモールの東側の出身ですが、リキサ県やレテフォホ県を含む西側の人たちをいつも支援しようと懸命にやってきたからこそ、今回の混乱が東西対立の様相を呈してしまったことに深く心を痛めています。このたびの騒乱で1999年のときと同様、私は無一文になってしまいましたが、私より過酷な状況で生活を強いられている人びとが東ティモールにはたくさんいます。私たちは負けません。苦境から再び立ち上がります。

これまで、物資や資金面で、また激励や勇気づけの言葉を通して、東ティモールのために支援を提供し、励まし続けてくれた皆さまのためにも、私たちは再び立ち上がります。

東ティモールに対する皆さまの思いやり、そしてあたたかな支援には、本当に感謝しています。今後とも東ティモールが自立していけるよう、皆さまのお力をいただきたく存じます。


(対訳:牛田眞也子)

  「支援継続が極めて重要」とアピール
2006.06.16

東ティモール情勢の悪化のため、現地から退避したピースウィンズ ・ジャパン(PWJ)スタッフの中島純らは、日本から現地スタッフに指示を出すなどして支援活動を継続します。その一方、「日本をはじめとする国際社会の関与と支援の継続が、情勢の安定と東ティモールの自立と復興のために極めて重要」であることを理解していただくための働きかけにも力を入れています。6月5日にメディア関係者などを対象とした記者会見を実施し、15日には超党派の国会議員でつくる「東ティモール議員連盟」(東ティモール議連)の所属議員に説明を行いました。

6月5日の記者会見は、日本記者クラブで実施。大手通信社の記者やテレビ局のディレクター、東ティモールをテーマにしているフリーライターなどが参加しました。

中島は、1999年騒乱後から継続しているPWJの活動について紹介した後、今回の騒乱の様子や背景などについても説明。当初はデモも穏やかな雰囲気で行われていたこと、噂が急速に広がる社会での住民の不安の大きさ、首都ディリでは大半の住民が避難していて、避難所での生活環境は深刻であることなどを話し、PWJスタッフが撮影した騒乱の写真やビデオを紹介しました。

そのうえで、中島は、いくつかのコーヒー業者が買い付けを見合わせるなか、PWJがレテフォホ郡で行っている支援は継続され、収穫作業も順調に行っていること、PWJは従来同様、コーヒーの買い付けも実施することを説明。「貧困の解消、生活の向上こそが、東ティモールの問題を解決することになる」と強調しました。

6月15日に参議院議員会館内で行った説明会には、東ティモール議連会長の江田五月参議院議員らが参加。中島の説明に耳を傾けました。独立後に東ティモールを訪問したこともある江田会長からは、国づくりのプロセスの進捗状況や東西対立の根幹などに関する質問をいただきました。

PWJでは支援活動を継続しながら、支援の必要性についての情報発信にも引き続き、取り組んでいきます。

東ティモール
デモ初日、ディリ市内を歩く部隊(4月24日)

東ティモール
群集が繰り出したが、デモはまだ平静だった(同)

東ティモール
暴動で煙が上がるようになった(4月28日)

東ティモール
教会施設に退避した住民(5月初旬)

東ティモール
ディリ空港でチャーター機の出発を待つPWJスタッフの高澤洋子(5月26日)

東ティモール
ディリ空港に配備されたオーストラリア軍の装甲車(5月26日)


東ティモール支援の現場からスタッフ

危機のなか、組合メンバーによる収穫開始へ

2006.05.31

報告:中島純
    (PWJ東ティモール駐在スタッフ)
スペース
「明日6月1日から予定通りコーヒー収穫を開始することになりましたよ」。
31日、騒乱が伝えられる東ティモールの首都ディリにいるピースウィンズ ・ジャパン(PWJ)現地スタッフのアメリコが、東京から私がかけた電話で、そう報告してきました。これを聞いて安心するとともに、PWJ東ティモールチームにも希望がわいてくるのを感じました。

東ティモールの情勢は、 5 月20 日の独立記念日以降、急速に悪化しました。23日にディリ市のベコラ地区で、武器を持って逃走していた部隊と国軍が銃撃戦を繰り広げました。翌24日も状況は収まらず、25日にはディリの各地で銃撃戦が展開されました。

25日の朝、私はディリの日本大使館で開かれた安全対策会議に出席し、PWJディリ事務所で対応に追われている間に状況は一変。ディリ中心部の自宅に戻った直後、市街戦が始まりました。お昼に始まった銃撃戦は午後いっぱい続きました。前日の24日、東ティモール政府がオーストラリアなどに軍隊の派遣を要請しており、その日はオーストラリア軍の到着を今か今かと待っているなかでの状況悪化でした。このような状況のなか、事業のパートナーであるJICA(国際協力機構)が現地にいる関係者の国外への退避を決定。私は同僚の高澤洋子やJICA関係者、他の日本のNGOスタッフとともに、JICAのチャーター機で5月26 日夜、ディリからインドネシアの首都ジャカルタへ退避しました。3年余り駐在している東ティモールをこのような形で離れる日が来るとは、ほとんど予期していませんでした。

28日に日本に到着し、29日から状況の不安定なディリにとどまっている現地スタッフなどと電話で連絡を取り合っています。29日、30日は、事業地であるレテフォホにいる現地スタッフと連絡が取れない状況が続きましたが、31日午前、ディリの現地スタッフがようやくレテフォホのスタッフと話すことができました。

現在はPWJ東京事務所から電話を通じて、現地スタッフの安否を確認し、ディリの治安情勢の情報収集と分析をし、ディリ事務所の警備体制を整え、そして事業活動の調整をしています。オーストラリア軍を中心とした部隊が東ティモールに上陸を開始した5月25日以降も、治安状況はすぐには改善されず、ディリ市内は家屋が焼かれ、盗難が続き、住民同士の争いが続いています。30日、31日と状況は少し落ち着きをみせているようですが、まだ予断を許さない状況にあります。多くの現地スタッフが家族とともに、ディリ市内の空港などにできたキャンプや地方に避難しましたが、ディリ在住の一部のスタッフが動ける状態にあります。また事業地であるレテフォホの治安は問題なく、スタッフも活動を続けています。

東ティモールの治安情勢がきな臭くなってきた4月末以来、PWJ東ティモール事務所はコーヒー収穫期の計画の見直しを行ってきました。当初の予定では、2007年に本格的にスタートさせる予定だったコーヒー精製時の品質管理に伴う一連の作業を、今年から生産者組合主体で行うことにしました。危機を、発展のための機会と捉え、計画を前倒しにしたのです。収穫時には、17あるサブグループそれぞれのリーダーとサブリーダーが必ず作業に参加し、品質管理を行う計画です。現在、治安悪化の影響を受けて、他のコーヒー買付業者の集荷が滞っていることもあり、PWJの支援が一層大切な状況となっています。

6月1日に開始され、9月まで続くコーヒー収穫。このような危機的状況のなかでも、安全確保に十分、気を払いながら、昨年以上に品質の良いコーヒーを生産し、今年末にはコーヒー豆を無事、神戸に到着させることができるよう、最大限の努力をしていきたいと思っています。

東ティモール
生産者自身によるコーヒー栽培

東ティモール
他の団体の活動の視察

東ティモール
シェードツリー育苗方法を説明するポスター

東ティモール
水タンクの製作
2006.05.22
コーヒー農園管理へ生産者の意欲高まる


ピースウィンズ ・ジャパン(PWJ)が東ティモールのエルメラ県レテフォホ郡で行っている支援事業では、コーヒー生産者組合「カフェ・タタマイラウ」の自立がテーマとなっています。組合が自立するためには、コーヒー精製技術の向上や流通・販売だけでなく、老齢化したコーヒーの木やシェードツリー(日陰樹)の病害への対処も大切になってきます。PWJは2004年から、コーヒー農閑期に農園管理についての技術普及に取り組んでいますが、2年目の活動がこのほど、大きな成果を残して終了しました。

2年目の成果は、コーヒー生産者たちの農園管理への意欲が高まったことと、活動の段階が農園の手入れから、コーヒーの木やシェードツリー(日陰樹)の苗を育てる段階へ前進したことです。

活動1年目の2004年度のポイントは、活動の趣旨を理解してもらうことと、農園管理の基本である「農園の手入れ」でした。コーヒー専門家を日本から招いて、東ティモール農林水産省と共同でワークショップ(研修)を実施し、PWJスタッフは「東ティモールのコーヒー農園のどこが問題なのか」を生産者に何度も説明しました。多くの実をつける新しい枝を出させるためには老齢化した幹を切る「台切り」をしなければいけないことや、実をつけない枝は剪定して切り落とさなければいけないこと、雑草の手入れが欠かせないことなどを納得してもらい、具体的な作業を写真で説明するポスターを作成して、農園の手入れは始まりました。手入れに必要な農器具は、PWJが貸し出しました。

そして迎えた2年目。前年度、手入れされた農園では収穫されるコーヒーの量や質が向上することを眼にした生産者たちは、積極的に農園管理へ動き出しました。コーヒーの"世代交代"を図り、シェードツリーの病害に対処するために、コーヒーやシェードツリーの苗木を育て、農園へ移植することも始めました。

2005年度はまた、活動に積極的な4つのサブグループを対象に、給水施設の建設と修繕を支援しました。支援を受けたサブグループは、苗の育成はもちろん、コーヒーの精製作業や野菜づくりなどでも水の不安が小さくなります。

農閑期の活動は4月で終了し、生産者組合カフェ・タタマイラウはまもなくコーヒー収穫期に突入します。収穫に追われるなかでも、組合の自立に向け、育苗のためのコーヒーの種子を採取したり、シェードツリーの苗を育てたりする活動は続きます。
東ティモール
自立をめざし作業に打ち込む生産者

東ティモール
意見を交わす生産者たち

東ティモール
雨期のぬかるんだ道を通り、村へ



東ティモール支援の現場からスタッフ

生産者組合の自立を願って…

2006.04.26

報告:中島純
    (PWJ東ティモール駐在スタッフ)
スペース

エルメラ県レテフォホ郡におけるコーヒー生産者支援も4年目を迎えました。第1フェーズ(段階)の3年間が終わり、第2フェーズに移る節目となった2006年2月から4月、PWJは、生産者組合「カフェ・タタマイラウ」の15のサブグループをひとつひとつ巡って、生産者たちと対話を重ねていくワークショップ(研修会)を開きました。私は第2フェーズのプランを説明することで事業の目標を生産者たちと共有するとともに、ティモール人の良くない点の指摘も行いました。組合が、「タタマイラウ」(=最高峰の山)という名前のように、東ティモール国内では最高品質のコーヒー生産をできるようになった今、自立した組織になってほしいという願いを込めて。

「生産者組合とは何か?」というトピックのなかで私は、決まって次のように話してきました。「私が東ティモールに来て2年半が経ちました。その間に東ティモール人の悪いところを『3つ』見つけました。ティモール人は、人に頼むだけ、何かを待つだけ、そして政府やPWJなど他者を批判するだけです。自分たちからは何もしないのです」。

「PWJは神様ではありませんよ」「皆さん、お祭りで社交ダンスが始まると、決して待つことはせず、一斉に踊る相手を探しにいきますよね。その気持ちが大切なのですよ」と、少しユーモアを交えながら、参加している生産者たちひとりひとりに言葉を届けるように話しました。多くの参加者は笑いながら、ある者はうんうんと深くうなずきながら、またある者は真剣なまなざしをこちらに向けながら、私が発する言葉をしっかりと受けとめてくれました。さらに面白いことに、これらの言葉は、PWJ現地スタッフの言語空間のなかにも刻まれました。現地スタッフたちは、私の言葉をあらゆるところで引用し、生産者たちのモチベーション(意欲)を喚起しました。

多くの人が組合の自立は難しいと親切に話してくれます。そんなとき私はいつも言葉を返します。「確かに自立することは難しいです。でもできないと思ったら本当にできない、みんなができると思えばきっと達成できます」。生産者たちが3つの悪い点を克服し、皆一緒になって考え、計画を立て、目標に向かって活動することができるようになれば、確実に達成できます。

宮沢賢治の短編『マグノリアの木』に、霧が深い厳しい山谷の刻みを渡って歩き続けた主人公が後ろを振り返ると、歩いてきた道程の刻みいちめんにマグノリアの花(至福の花)が咲いている、という場面があります。生産者たちは、これまでの3年間と同様に、これからも引き続き、険しい<でこぼこの道>を歩きつづけなければなりません。この<でこぼこの道>のほかにはどこにも彼方などありません。この<でこぼこの道>だけが彼方なのであり、この道に沿って歩きつづけることではじめて、その道程の刻みいちめんにマグノリアの花(至福の花)は咲くのだと思います。
東ティモール
貸し付けを受ける女性

東ティモール
説明を行う組合代表ドミンゴス氏

東ティモール
ルールなどを協議したリーダー会議

東ティモール
「貸し付けはありがたい」と話すテレーザさん

2006.03.29
コーヒー売上金で生活資金貸し付け


ピースウィンズ ・ジャパン(PWJ)が東ティモールのエルメラ県レテフォホ郡で行っている支援事業は、コーヒー生産者組合「カフェ・タタマイラウ」の自立をめざして活動を続けています。家族ぐるみの生産者組合の組織づくりを進める一方、2月には、2005年に引き続き、組合メンバーへの生活資金の貸し付けを行いました。コーヒー収穫期直前の最もお金に困る時期に、組合メンバーの生活を支えることを目的としています。

貸付事業は、組合メンバーが生産したコーヒーを、PWJのフェアトレード部がフェアトレード商品として日本で販売した代金の一部を原資にしています。PWJは、パーチメント(生豆)を生産者から買い取るほかに、豆の収穫量に応じた奨励金を生産者組合に提供しています。

PWJとしては、組合が奨励金を貯め、将来組合が組織を運営していくときに必要となる資金にしてほしいと考えていました。しかし、組合メンバーが集まって相談した結果、メンバーの多くが、将来への貯蓄ではなく、今の生活を成り立たせるための貸し付けを希望したのです。背景には、地域には銀行はなく、住民間の貸し借りには100%の利子が付き、住民たちは貧困のサイクルから逃れられないという厳しい現実がありました。

組合メンバーたちによるルールづくりも終わり、最初の貸し付けが実施できたのは2005年6月。原資となった2700ドルを組合メンバー133世帯で均等に割り、1世帯20ドルを貸し付けました。利子は10%と決定され、コーヒーの収穫後、22ドルを返済することにしました。組合メンバーたちは、この貸付金を、日々の食糧品の購入や子どもの学費の滞納金返済などにあてました。残念ながら、1世帯だけ、返済できませんでしたが、この世帯への貸付金はルールに基づいて、同じサブグループの世帯が代わって返済しました。残る貸付金は2006年2月までに、すべて返済され、同時に次の貸付要望があちこちから聞こえてきました。PWJフェアトレード部からは、次期の奨励金が提供されたため、2月に第2回の貸付事業を実施しました。

2回目の貸し付けに先立って、生産者組合の代表やサブグループのリーダーたちが話し合った結果、奨励金などによる組合資金を、貸付事業などに使う「生活改善用資金」と、将来に生かす「組合設立・運営用資金」とに分けて管理していくことが生産者側から提案されました。1世帯あたりの貸付金額は、前年より3ドル多い23ドルに決定されました。貸し付けを受けた組合メンバーたちは、貸付金が増額したことで、今後、毎年貸付額が増えるのではないかという期待を持ち始めました。東ティモール事業を担当するPWJスタッフの中島純は「将来のための貯蓄という発想が、生産者の意識に滑り込んできたことが最大の成果」と歓迎。

2003年のコーヒー生産者支援開始当初から参加しているドゥクライ村のテレーザさんは「雨季である1月頃は最もお金がなくなる時期です。貸付額は決して充分ではありませんが、組合貸付は低利ですから、わたしたちにとってはとても大切です」と喜んでいます。
東ティモール
ワークショップに参加した住民たち

東ティモール
輪になって議論

東ティモール
やや遠くの位置から発言する女性

東ティモール
集まった生産者と子どもたち

2006.02.27
家族ぐるみの生産者組合へ研修スタート!


ピースウィンズ ・ジャパン(PWJ)が東ティモールのエルメラ県レテフォホ郡で行っているコーヒー生産者支援事業は、今年で4年目を迎えます。きめ細かい技術指導を重ねた結果、品質にこだわる姿勢も生産者に浸透。この技術指導の経験を生かし、コーヒー生産者組合「カフェ・タタマイラウ」の組織づくりを進めるため、PWJは、サブ・グループ単位できめ細かく行う連続ワークショップ(研修会)を開始しました。世帯主だけでなく、女性や子どもも一緒に参加し、組合のメリットを実感してもらうことがポイントです。

これまでの研修の多くは、郡内の1〜2カ所に組合メンバーを集めて行ってきました。参加者は世帯主が中心でした。一方、コーヒー農園で行うコーヒー精製の実地指導は、現在17ある組合のサブ・グループごとに、作業に携わる家族全員が参加してきました。3年間で合計2400回にもおよんだ、きめの細かい技術指導が、良質のコーヒー生産につながりました。

生産者組合に加入してPWJの技術指導を受ければ、良質のコーヒーを生産することができ、買い取り価格の上昇によって収入が増えます。一方、従来以上にていねいな収穫・精製を求められることは、生産者にとって「手間」を増やすことでもあります。実際の農作業に加わる女性や子どもたち、お年寄りという家族の理解は不可欠になってきます。また、収入向上以外に、組合で活動することのメリットがみえれば、参加意識は一層高まります。たとえば、研修に参加して生活の悩みや子どもの教育のことを話し合い、文字や計算などを学ぶことができれば、組合活動への参加意欲も強くなるでしょう。

このような考えから始まった連続ワークショップの1回目は、レヌマタ集落で開催。これから組合に入ろうという人を含めて59人の住民が参加しました。女性の多くは人前で話す機会もほとんどないため、思ったことを自由に話してもらおうと進めました。参加者からは、コーヒー栽培や農園管理の仕方、生産者組合の役割についての質問のほか、「食べ物を買うお金や子どもの学校にかかるお金が足りていない」という声や、「歌のグループを結成したい」という提案も出され、PWJ東ティモール駐在スタッフの中島純は「雰囲気もよく、出足好調」と話しています。

PWJでは、3年後に生産者組合「カフェ・タタマイラウ」が自ら組織を運営し、高品質コーヒーを生産・輸出できるようになることを目指して、現地で支援を続けています。収穫期にはワークショップは一時、中断しますが、これから3年をかけて組合の自立を目標に、きめ細かいワークショップを続けていきます。
東ティモール
機械を使った脱穀とサイズ分けの作業

東ティモール
女性たちによる手作業の豆の選別

東ティモール
コンテナに積み込まれたコーヒー豆。湿度維持のため防湿シートも完備

東ティモール
出港前の最終点検を行うPWJスタッフの中島とジュスティーノ

東ティモール
コーヒーを積んだ船が出港した東ティモール・ディリ港
2006.02.14
東ティモール産、"新豆"が到着


よりなめらかな、まろやかな味わいです――。ピースウィンズ ・ジャパン(PWJ)が、東ティモールを代表するコーヒー生産地、エルメラ県レテフォホ郡の生産者とともに収穫した2005年産のコーヒー豆約12トンがこのほど、神戸港に到着しました。豆は焙煎、パック詰めという一連の工程を経て、早ければ来月にも、無農薬で栽培されたフェアトレードコーヒー「ピースコーヒー」として、皆さまのお手元へ届けられることになります。

PWJは、21世紀最初の独立国である東ティモールで、現状で唯一の輸出産品であるコーヒーに着目。住民の自立につなげるため、2003年からコーヒーの収穫・精製に関する技術指導を続けています。

2005年は雨季の降水量が少なかったため、コーヒーの収穫量は減少しました。しかし、こうした厳しい条件下でありながら、より品質の高い豆をつくることに成功。専門家による試飲会でも、「(去年の豆と比べて)一層なめらかで、まろやかになっている。高地産の豆としてのクオリティーが向上した」との高い評価を得ています。

現地でパーチメントの状態に加工されたコーヒー豆は、2005年11月7日に東ティモールのディリを出港。約1カ月の航海を経て、神戸港に無事、到着しました。豆は今後、焙煎、パック詰めという一連の工程を経て、早ければ2006年3月にも、皆さまのお手元へ届けられることになります。PWJと現地の人々が心をこめて育んだ、東ティモール産のコーヒーをお楽しみください。

※コーヒーのご購入は、オンラインショップ「ピース ウィンズ・ショップ」から。

※PWJの東ティモール・コーヒー農民支援事業は、JICA(国際協力機構)の協力を得て進めています。
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2004年
2003年
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