アフガニスタンについて知る
アフガニスタンの歴史
| 紀元前330年-327年 |
アレクサンドロス大王が現在のアフガニスタンを含むアケメネス朝ペルシアを滅ぼし、勢力を誇る |
| 1世紀ごろ | ヘレニズム文化と仏教が融合し、ギリシア式仏教芸術「ガンダーラ美術」が生まれる。 |
| 225年ごろ〜 | ササン朝ペルシャの支配 |
| 630年ごろ | 唐の玄奘三蔵がアフガニスタンを通ってインドへ。「大唐西域記」に当時のアフガニスタンの記録を残す |
| 650年ごろ | イスラム教徒のアラブ軍がササン朝ペルシャを滅ぼし、イスラム化が始まる |
| 962年 | 東部のガズナを首都とするガズナ朝が成立 |
| 1187年 | グール朝がガズナ朝を滅ぼす |
| 1221年 | チンギス・ハーンのモンゴル帝国が侵入。ヘラート、バーミアンなどが破壊される |
| 1275年 | マルコ・ポーロがバダクシャンに足跡。「東方見聞録」に記録を残す |
| 1333年 | イブン・バトゥータがインドへの旅の途中、アフガニスタンを通り、「三大陸周遊記」に記述 |
| 1380年 | ティムール朝がアフガニスタンの大部分を手中に。ヘラートはティムール朝の都の一つとして栄える |
| 16世紀〜 | ティムール朝の衰退と同時にムガール帝国とサファヴィー朝がアフガニスタンの覇権をめぐり争う。 |
| 18世紀〜 | ムガール帝国、サファヴィー朝が衰退し、ナーデル・シャーが興したアフシャール朝がアフガニスタンの地に侵攻する。 |
| 1747年 | ナーディル・シャーに仕えたパシュトゥン人、アフマド・アブダーリーがカンダハルを中心にドゥラーニー朝を樹立 |
| 1776年 | ドゥラーニー朝が首都をカンダハルからカブールに移す |
| 1809年 | イギリスの使節団が来訪し、ヨーロッパとアフガニスタンの間で初めての外交交渉 |
| 1835年 | ドスト・ムハンマドがバラクザイ朝を建て、ドゥラーニー朝の終焉 |
| 1838年 | ロシア・ペルシャ連合軍がヘラートを攻撃。英領インド軍の支援を受けたアフガニスタン軍がこれを破る。アフガニスタンをめぐるロシアとイギリスの争い「グレートゲーム」の引き金に |
| 1838-42年 | 第一次イギリス・アフガン戦争。イギリス軍が侵攻 |
| 1870年ごろ〜 | 近代化が始まる |
| 1878-80年 | 第二次イギリス・アフガン戦争。国王の親露政策に反発し、イギリス軍が侵攻。 戦争中に結んだ条約により、イギリスはアフガニスタン外交へ介入できるようになる |
| 1893年 | イギリスとデュラント協定を締結。現在の国境線がほぼ確定 |
| 1919年 | 第三次イギリス・アフガン戦争。停戦後、条約によってアフガニスタンが完全に独立 |
| 1920年〜 | ソ連、フランス、イタリア、ドイツ、トルコ、ペルシャなどと外交関係を樹立 |
| 1929年 | 近代化政策に対して続いた反乱により、アマヌッラー国王が退位。 ナーディル・シャーが即位し、イスラムを尊重しつつ近代化も進める |
| 1930年 | アフガニスタン・日本修好条約締結。1934年にはカブールに日本国公使館が開設される |
| 1933年 | ナーディル・シャーの暗殺により、息子であるザヒル・シャーが19歳で即位 |
| 1937年 | ドイツのルフトハンザ航空が、ヨーロッパと結ぶ初の定期便となる ベルリン−カブール便を開設。ドイツとの政治・経済関係も深まる |
| 1939年 | 第2次世界大戦が勃発。アフガニスタンは「中立」を宣言 |
| 1964年 | ロヤジルガ(国民大会議)で新憲法を承認、ザヒル・シャーが署名して発布 |
| 1973年7月 | ザヒル・シャーが病気治療のためイタリアに滞在中、従兄のムハンマド・ダーウドがクーデター。王位を廃して共和制に移行。ザヒル・シャーはイタリアに亡命 |
| 1978年4月 | 軍部クーデターにより人民民主党政権が成立 |
| 1979年12月 | ソ連の軍事介入のもとカルマル政権成立 |
| 1986年5月 | ナジブラが書記長就任 |
| 1989年2月 | ジュネーブ合意に基づき、駐留ソ連軍の撤退が完了 |
| 1992年4月 | ムジャヒディン・ゲリラ勢力の軍事攻勢によりナジブラ政権が崩壊し、ムジャヒディン政権が成立するが、各派間の主導権争いにより内戦状態が継続 |
| 1994年ごろ〜 | イスラムへの回帰を訴えるタリバンが勢力を伸ばす |
| 1996年9月 | タリバンが首都カブールを制圧 |
| 1999年 | タリバンが国土の9割を支配 |
| 2001年 9月11日 | アメリカ同時多発テロが発生 |
| 2001年10月 | 同時多発テロをきっかけに、アメリカ、イギリスなどが、アルカイダやタリバンに対する軍事行動を展開 |
| 2001年 11月13日 | 北部同盟などが首都カブールに入城 |
| 2001年 12月5日 | 国連の呼び掛けによりドイツ・ボンでアフガニスタン各派代表者会議が開かれ、今後の和平プロセスに関して合意(ボン合意) |
| 2001年 12月7日 | タリバン政権が南部カンダハルを放棄し、崩壊 |
| 2001年 12月11-13日 | アフガニスタン復興NGO東京会議が開かれる(ジャパン・プラットフォーム主催)。 「アフガニスタン復興に現地の声を」とアピール |
| 2002年 1月20日 | 東京で、翌日からのアフガニスタン復興支援国際会議の本会合に先立ち NGO会合が開かれる。「NGO拒否問題」が起こる |
| 2002年 1月21日- 22日 | 東京でアフガニスタン復興支援国際会議 |
| 2002年6月 | ボン合意に基づき緊急ロヤジルガ(国民大会議)が開催され、カルザイ暫定政権議長を大統領とする移行政権が成立 |
| ※PWJ支援開始当初までの歴史を中心にまとめています。 ※外務省ホームページ、「アフガニスタン史」(前田耕作・山根聡著、河出書房新社)などを参考に作成 |
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| (更新:2007.03.07) | |
- 外務省ホームページ アフガニスタン: 基礎データなど
















