インドネシアについて知る
インドネシアの歴史
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紀元前3,000年〜紀元前500年ごろ |
モンゴル系のマレー人が、中国やベトナムなどの地域からインドネシアへ移住、新石器・青銅器・鉄器などの文化を伝える |
| 紀元前1世紀 | インドの貿易商たちが大挙してインドネシアへ。 ヒンズー文化と仏教文化をもたらす |
| 7世紀 | スマトラを中心にスリウィジャヤ王国などの仏教王国が成立。その後、ジャワを中心にマタラム王国などのヒンズー教王国が次々に現れる。壮大な建築物や寺院が数多く建立される |
| 13世紀 | ヒンズー教のマジャパヒト王国が東ジャワで台頭。やがてインドネシア全域とマレー半島の一部を支配する。ジョグジャカルタ近くのブランバナン寺院群や東ジャワのベナタラン寺院、ディエン高原の遺跡群などは、インドネシア史の黄金期を象徴する遺跡とされる |
| 13世紀 | スマトラ島北部のアチェにイスラム教が伝わる。13世紀後半には北スマトラにイスラム小国家ができ、イスラム商人の活躍によって各地にイスラム教が広がる |
| 1292年 | マルコポーロがジャワを訪れる。ヨーロッパ人として最初の足跡 |
| 14〜15世紀 | いくつかのイスラム教国が発展 |
| 1512年 | ポルトガル、モルッカ諸島のアンボンを占領 |
| 1602年 | オランダ、ジャワに東インド会社を設立し、植民地経営に乗り出す |
| 1619年 | オランダがジャカルタを攻撃し、制圧。ジャカルタをバタビアと改名する。その後ジャカルタを本拠地に、香辛料貿易を支配。20世紀初期まで、オランダ領東インド(スマトラ、ジャワ、スラウェシ、カリマンタン、マルク、ニューギニア)として、アチェとバリ島を含む全諸島を支配下に置く |
| 1811〜16年 | イギリスが一時、ジャワ島を占領 |
| 19世紀〜 | オランダの支配に対する反乱、独立運動が激しくなるが、オランダによって鎮圧される |
| 1928年 | スカルノらによりインドネシア国民党が結成され、独立運動を開始。 |
| 1942年 | 第二次世界大戦中、日本軍による占領。 |
| 1945年 8月17日 |
日本の無条件降伏後、スカルノはインドネシア独立を宣言。しかし、インドネシアの再植民地化を図るオランダは武力制圧を試み、双方で戦闘が始まる。インドネシア軍は激しく抵抗し、オランダに対する国際世論の非難が高まる |
| 1949年12月 | オランダ・ハーグでの会議で、独立が合意される |
| 1950年 | 完全独立が達成され、スカルノが初代大統領に就任。しかし、その後のスカルノ大統領の独裁主義的政治、経済の社会主義化の動きに対し、1957年以降スマトラ・スラウェシなどで反乱が起きては鎮圧される |
| 1965年 9月30日 |
軍部共産主義グループによるクーデターが起き、スハルト陸軍戦略予備隊司令官が鎮圧する(9・30事件)。これによりスハルトが実権を掌握 |
| 1967年 | スハルトはスカルノに代わり、大統領代行となる。翌68年正式に第二代大統領に就任。その後、約30年にわたり、先進国の投資や援助を生かした経済開発を急速に進めるが、政府幹部・高官の間に汚職・腐敗が広がる |
| 1990年代 半ば〜 |
汚職・腐敗の広がりが要因となり、体制変革の機運高まる |
| 1997年夏 | アジア通貨危機が発生し、インドネシアの通貨、ルピアも急落。政治不安、体制不信が拡大する |
| 1998年5月 | 大統領ファミリーの利権主義に対する非難が高まり、スハルト大統領が退陣。後継ハビビ大統領が就任 |
| 1999年6月 | 挙制度の下での総選挙。スハルト政権下の与党で、ハビビ大統領が所属するゴルカル党は得票率20%あまりにとどまり、敗北 |
| 1999年 8月30日 |
東ティモールで、インドネシア支配下での自治権拡大の是非(実質的には独立の賛否)を問う住民投票。圧倒的多数が独立を支持する。その後、インドネシア併合派によるとみられる暴力事件が多発し、インドネシアは国際的な批判にさらされる |
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※原則として、PWJ支援開始当初までの歴史を中心にまとめています。 ※外務省ホームページ、在日インドネシア大使館ホームページなどを参考に作成 |
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(更新:2007.03.07) |
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- 外務省ホームページ インドネシア: 基礎データなど
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