イラン:支援地域を知る

イランについて知る

イランの歴史

紀元前8000年
イラン平原で文明が発祥する。農業が広まり定住が始まる
紀元前5000年 世界最古級のワインがつくられる
紀元前1500-800年 アーリア系が現在のイラン北部山間部、後にメソポタミア平原に侵入
紀元前1000年 預言者ゾロアスターがゾロアスター教(1神教)を広める
紀元前550年 キュロス大王がペルシア帝国アケネス王朝を建国ー世界で最初の皇帝
紀元前525年 アケネス朝ペルシア、エジプトを征服して全オリエントを統一(西はエジプト、ギリシャ、東はアフガニスタン、インドの一部)
紀元前522-483年 アケネス朝のダレイオス1世即位。ペルシャ帝国の最盛期。
銀行のもとになるシステムをつくる。“Check""(小切手)の語源は古代ペルシャ語。“ダリク”通貨が使われ始める。
郵便のもとになるシステムをつくる。当時の標語“雨、風、暑さ、夜の闇でもとまらないサービス”
紀元前490年 ダレイオス1世、ペルシア戦争起こす(マラトンの戦いに敗戦)
紀元前333年 イッソスの戦いでダレイオス3世がマケドニア王アレクサンダー大王に敗れる
紀元前330年 アケネス朝ペルシア滅亡。アレキサンダー大王がパルティアン王朝を建国。ペルシャ人女性と結婚し、ペルシャ文化を受け継ぐ。
紀元前323年 アレキサンダー大王が亡くなる。
紀元前323年- アレキサンダー大王の部下の一人がセレウコス王朝を建国
-224年 ローマ帝国との戦いが頻繁におこる。
226年 アルデシール1世がササン王朝を建国。アケネス王朝の文化を取り戻す。
260年 ササン王朝のシャープール1世、エデッサの戦いでローマ皇帝バレリアヌスを捕虜に
531年 ササン王朝のホスロー1世即位。ササン朝の最盛期
608-622年 ササン王朝とビザンチン帝国の長期戦争。双方に大きな被害をうける。
629-632年 2人の姉妹が皇帝に即位。ビサンチン帝国との和平
642-750年 アラブ人が侵入しイスラム化。モハメッドの後継者、5代目カリフ・モーアワ がオーマヤド朝を築く。しかし、ペルシャ人として文化・言語・アイデンティティーを保持
750-1258年 カリフ・アッバースがアッバース朝を築く。
820-1220年 アラブ人の支配の下、多くのペルシャ人の地方王国が力を付け始める。
850年 数学者であり天文学者でもあるkhwarazmiが代数学の基礎をつくる。0と小数を完成。アラビア数字を完成させる。
1220年 チンギス・ハーンがペルシャを攻撃開始。モンゴル帝国の支配を受ける。
1271年 マルコポーロがペルシャを通って中国まで旅をする。
1320−1405年 チムールがチムール帝国を築く。中央アジア各地を征服、ペルシャ、カスピ海・黒海地域、ロシアの一部、インド、レバントに侵攻。
1501年 イスマーイール1世がサファビー朝建国(〜1736年)。民族統一国家を再建し、シーアの12イマーム派を国教に
1598年 サファビー朝、首都をイスファハンに遷す
1736年 サファビー朝滅亡。
1796年 テヘランを首都にトルコ系カージャール朝が成立(〜1925年)
1813&1828年 西欧諸国の帝国主義が浸透する。
1851-1904年 カージャール朝の支配が弱まる。中央アジアをロシアに、アフガニスタンをイギリスに渡す。また、水タバコの専売利権がイギリスに渡り、各地で暴動が発生する。
1905年 立憲革命起こる
1907年 英露協商により、両国のイランでの勢力範囲確定
1909年 立憲派が首都テヘランを制圧し、皇帝退位
1919年 クルド人イスマイル・アー・シムコがソ連軍の助けを得て、カージャール朝に対し放棄。1925年までウルミエ湖一帯を支配。
1925年 レザ・ハーンがパーレビ朝を建国。シムコを撃退して、追放する。
1935年 国名をイランに
1941年 第二次大戦中、レザ・ハーンは中立を維持しようとし、連合軍によるイラン領内通過を求める最後通牒を拒否。その結果、英・ロシアが侵攻。レザ・ハーンは息子のモハメド・レザ・パーレビに譲位して亡命。
1946年 イランのマハバドでクルド人民l共和国(マハバド共和国)の独立を宣言(4月)。カズィ・ムハンマドが大統領に就任。イラン政府がマハバドに侵攻、戦闘なしで占領。クルド語の出版・教育は禁止される。"
1950年 イラクとの国境付近で、クルド人約2万人とイラン政府軍が衝突。
1978年 脱イスラム化・西洋化に反対する王政反対デモが全国に拡大
1979年2月 亡命先のパリから帰国したホメイニ師がイスラム革命に着手し、パーレビ朝を打倒。ホメイニ師によるイスラム原理に基づく現体制が成立
1979年3月 KDPIの武装勢力がサナンダジュでイラン政府軍を急襲し占拠。政府側は反撃する。
1979年11月 在テヘラン米大使館員人質事件発生。イスラム系学生らが大使館に乱入し、パーレビ元国王の引渡しを要求し、大使館員ら52人を人質に取り占拠(81年1月解放)
1980年5月 KDPIとイラン政府で停戦合意がなされる。
1979-89年 ソ連のアフガニスタン侵攻により推定300万人の難民がイランに流入
1980年 イラン・イラク戦争開始(〜88年)
1984年 KDPIがイラク領へ。イラクのPUKの支援を受ける。
1988年3月17日 PUKとイラン政府軍がイラクのハブラジャを占領。翌日イラク軍がハブラジャを毒ガスで空爆。約5000人が死亡した。
1989年6月 ホメイニ師死去。専門家会議においてハメネイ大統領が最高指導者に選出
1992年- アフガン難民の帰還が始まる。
2002年 アメリカのアフガニスタン攻撃を恐れ、アフガン難民が流入。
2003年12月 イラン南東部ケルマン州のバム市でマグニチュード6.3の地震が発生
※原則として、PWJ支援開始当初までの歴史を中心にまとめています。
※外務省ホームページ、World Guide 2001/2002、imidas 2003、クルド人関連年表、UNHCRホームページなどを参考に作成
(更新:2007.03.07)
 

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