モンゴルについて知る
モンゴルの歴史
| 紀元前3世紀ごろ |
遊牧国家の匈奴が勢力を誇る。秦や漢と抗争 |
| 1206年 | チンギスハーンが全モンゴルを支配 |
| 1260年 | 大ハーンとなったフビライが元を建国 |
| 1274年 | 文永の役。元・高麗の連合軍が博多湾沿岸に上陸するが、暴風にあって退却 |
| 1281年 | 弘安の役。元と中国の南宋軍(江南軍)が、再び北九州へ襲来。暴風の被害もあり、元軍は退却 |
| 1368年 | 元が明に敗れ、モンゴルによる中国支配が終わる |
| 17世紀 | 内外モンゴルが中国(清)の支配下に置かれる |
| 18世紀〜 | ロシアと中国がモンゴルの権益をめぐってせめぎあう |
| 1911年 | 辛亥革命を機に外モンゴルが独立を宣言し、ジェプツンダンバ・ホトクトが 政権を樹立 |
| 1912年 | 清が倒れ、中華民国が成立 |
| 1912年秋 | 全モンゴル統一を目指すホトクト政権と、 内モンゴルを支配下に置こうとする中国との間で戦闘が勃発。中国は外モンゴルの自治権を認める |
| 1915年 | 中国とロシア、モンゴルの三国でキャフタ協定を締結。 中国の宗主権の下で外モンゴルの自治権を再確認 |
| 1921年2月 | ロシア革命(1917年)後の内戦で敗れたウルゲルン・シュテンベルグ(白軍)が モンゴルを制圧 |
| 1921年3月 | モンゴル人民党が第1回党大会。スフバートルとチョイバルサンが革命を指揮し、モンゴル臨時人民政府を樹立、モンゴル人民義勇軍を創設 |
| 1921年 7月11日 |
ソ連(赤軍)の支援を受け、独立を達成。 ソビエト赤軍と協力してウルゲン・シュテンベルグ軍を撃破、イル・フレー(ウランバートル)を解放 |
| 1924年 11月26日 |
ホトクトの死去に伴い人民共和国を宣言 |
| 1930年 ごろ〜 |
ソ連をモデルにした急速な農業集団化、私有財産の没収が進む。 チョイバルサンによる独裁と粛清が始まる。 |
| 1934年 | ソ連との間で協定締結。ソ連との関係を深める |
| 1939年 | 東部国境に日本軍が侵入、ソ連軍とともにこれを防ぐ (ノモンハン事件、現地ではハルハ河戦争) |
| 1945年 8月8日 |
ソ連が対日参戦 |
| 1945年 8月10日 |
モンゴルが対日戦争に参戦。満州と内モンゴルでソ連軍に合流 |
| 1945年10月 | 中国からの独立の意思を問う国民投票実施。100%近くが独立支持 |
| 1946年 1月5日 |
国民投票の結果を受け、中国(国民党)がモンゴル独立を承認 |
| 1949年 10月1日 |
中華人民共和国が成立。その直後、モンゴルは中華人民共和国を承認。ソ連を訪問した中国の毛沢東主席は、モンゴル独立を保証 |
| 1956年 | ソ連−モンゴル−中国を結ぶ鉄道が開通。内陸国のモンゴルにも恩恵 |
| 1960年代 初頭 |
中ソ対立が激化。モンゴルはソ連に近い立場をとり続け、「ソ連の衛星国」とも称される |
| 1972年 | 日本との外交関係樹立。その後、日本による経済協力も始まる |
| 1990年3月 | ソ連の崩壊を期に、民主化の機運が生まれる。複数政党制を採用するなど共産主義体制終焉へ |
| 1990年9月 | 大統領制に移行、初代大統領にP.オチルバトを選出 |
| 1992年 2月12日 |
モンゴル国憲法施行(1月13日採択)、「モンゴル人民共和国」から「モンゴル国」へ国名変更 |
| 1996年6月 | 民主連合が選挙で勝利し、人民革命党一党支配が終わる |
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※原則として、PWJの支援開始当初までの歴史を中心にまとめています。 ※外務省ホームページ、「モンゴル現代史」(Ts・バトバヤル著、明石書店)などを参考に作成 |
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| (更新:2007.03.06) | |
- 外務省ホームページ モンゴル: 基礎データなど
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